証し・人とは何もの

 私が初めてクリスチャンなる人に会ったのは中学の社会の先生であった。その先生は飄々としていて、良く言えば哲学的、悪く言えばとぼけた感じの先生でした。しかしながら、今振り返って思い起こすと初めてキリスト教に出会ったのは建物であった。それは私が昭和31年に入学した小学校であった。建物は鉄筋コンクリート三階建てで、北館は昭和九年に建てられた。…
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ローマ人への手紙におけるアブラハムの信仰

 パウロが手紙を書いたのはおそらく紀元57年、最後の旅行で、コリント滞在中に書かれたとされる。パウロは紀元前2,000年ころのシュメール人が西方、東方、北方移動があった事実をふまえて、先祖がアブラハムと同郷人であったエトルリア人の信仰をどのようにおもっていたのであろうか。ローマ人たちの信仰はアブラハム時の信仰のままであったのか。 …
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銀製の鹿像

 四肢に羽根模様が彫られている。台座に固定するための工夫がなされている銀製の鹿像がモンゴルにある突クツのビルゲ可汗廟で出土された。高さ16㎝、モンゴル国立歴史博物館に収蔵されている。銀製ということは、背後には金銀銅鉄などを採掘する人、精錬する人、彫像する人の存在の証明にもなります。それはゾグド人が所有していたとされる。製作者は紀元前20…
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勝鬘経とピタゴラス教団の黄金詩篇

 日本で最も古い仏教の書の一つである勝鬘経と古代ギリシャのピタゴラス教団の教えとを比較してみます。 1 勝鬘経  正式名称は「勝鬘獅子吼一乗大方便方広経」で、「勝鬘夫人が雄弁をふるう経」の意とされる。大乗仏教の理想が表わされ、十大受と三大願にまとめられている。意訳すると、 十大受(十の大きな誓い)  世尊よ。に続き  …
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平曲と連歌と茶の湯 

 神仏習合思想がやがて、人々の間に、仏教の招来者であった聖徳太子の再来待望となって拡がったことを記しました。  その目的を犠牲を払って達成した後はどのように時代が動いたのであろうか。 1 後醍醐天皇崩御     「平家物語」は鎌倉末期以来、琵琶法師によって各地に伝えられた。1340年、花園上皇が京都、仁和寺で平曲を聞いた。この…
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神仏習合がもたらしたものは

 日本独自の解釈により神仏習合思想が生まれたが、本来異なる宗教であるので、何らの力も出せないでいた。人々の間では怨霊信仰が依然として広まっており、それを払しょくすることが出来なかった。また社会の底辺では、中国から仏教とともに輸入された、数々の技術が産業として育ち、それを運び、販売する業の人たちが生まれた。社会に所得格差が生まれた。神仏…
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末法思想1052年(永承七年)

1 末法思想とは、釈迦入滅後一千年を正法、さらに一千年を像法(ぞうほう)、以後を末法と呼び、末法の世には仏法が衰えると考えられていた。日本では紀元前949年を釈迦入滅の年としたから、二千年後は永承七年(1052年)が末法元年にあたるとしんじられた。人々は災いが起こり、不安に駆られ、極楽往生を願うようになった。この不安を救うように、念仏を…
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山鹿素行ルーツ

山鹿素行ルーツ探し 1 藤原北家中(なかの)関白家、大宰府〃官藤原政則(997-1064年)を祖とし、一族が地名から山鹿氏、菊池氏らを名乗る。山鹿氏は秀遠(ひでとお)を祖とする。荘園全盛期の1100年ころ、肥後国には山鹿荘など約10の大荘園ができる。山鹿荘は白河院(1053-1129年)領であった。この中から武士団が台頭してくる。秀遠…
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蒲生氏郷のルーツ

蒲生氏郷のルーツ探し 1 山鹿貝塚 ・・・ 福岡県遠賀郡芦原町にある縄文時代の貝塚。縄文土器および埋葬された縄文人の骨が20対以上出土した。紀元前1500年ころと推定され、特に族長とされる女性には二本の鹿角が添えられていた。他の女性たちも多くの装身具を身につけていた。このことはすくなくとも、メソオタミア、シュメール人の山羊信仰が鹿信仰…
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アブラハム物語の構造

1 構造 ① エジプト滞在(12章) 創12:7 モレブの樫の木  12:8 ベテルの東に祭壇を築く  12:10 エジプト滞在  13:2 アブラムは家畜と銀と金を豊かに持っていた。 参考 申命記8:9,13  そこの石は鉄で、山々からは銅を掘り出す。金や銀がます。あなたのこころが高ぶり、あなた…
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相撲の起源とヤコブ

創世記27:3 さあ今、おまえ(エサウに)の道具の矢筒と弓を取って野にでて行き、私(イサク)のために獲物をしとめてくれないか。  〃 32:24 ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人(神)が夜明けまで彼と格闘した。 1 相撲の起源  奈良時代より平安時代末期まで「相撲節(すまいせち)」が行われていた。「続日本記」に聖武天皇の元平…
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天の北極と雲龍図

1 天の北極点は地球の歳差のために、25,800年で一周する。   紀元前2,790年ころには「りゅう座」α星の位置にあった。   紀元前 1100年ころには「こぐま座」β星の位置にあった。  りゅう座α星は四等星の食連星である。二つの星が非常に近い位置にあり、53分という短い周期でごくわずかに変光している。龍の胴部にある。また、…
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サラの墓をマクベラの洞窟に造る

1 マクベラの洞窟について  紀元前1,900年ころであろう。アブラハムはヒッタイト人エフロンからマクベラの洞窟とその附近の畑を銀四百シェケルで購入する。二人はどうも知り合いのようである。ヒッタイト人は洞窟を掘って鉱物を取ることに長けていたので、この洞窟は採掘した後のものであったろう。アブラハムはこの洞窟をどうしても入手したかった。そ…
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日本語の起源

稲作の起源について、遺伝子調査の結果について、日本語の起源について。 1 稲作の起源  ジャポニカ米の起源について、長江流域の寧波(ニンポー)付近の河姆渡(カボト)遺跡では、紀元前5,000年以前のモミが出土。住居も高床式であった。江西省の仙人洞(センニンドウ)遺跡、吊桶環(チョウトウカン)遺跡のイネの起源は14,000年以上前…
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アブラハムの信仰

前述の記事の続き。 1 <表>    天体特異年  ーー  歴史的遺物 ーー   推定聖書箇所      紀元前 2,927年 ーー 第一王朝誕生  ーー カインとアベル      紀元前 2,450年 -- ハゲワシの碑  ―― セム、ハム、ヤペテ       紀元前 2,066年 ―― 雄山羊の像,第三王朝滅亡 ―― テラ(…
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アブラハム以前

1 前期シュメール時代  紀元前3,000年から前2,700年ころ。都市ウルクの支配者ギルガメシュの英雄物語は楔型文字で書かれ有名である。ノアの箱舟物語の原型物語や、王ギルガメシュと友人エンキドゥの物語はイエスと洗礼者ヨハネの関係をほうふつとさせる。 2 第二期シュメール時代  紀元前2,700年から前2,250年ころ。有力都…
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プラトンの「饗宴」での「美」とは

1 アガトンが語るエロスへの賛美 エロスはすべてのうちでもっとも最も美しく、もっとも優れており、したがってもっとも福なる神である。(十八) 神々の世界にも、エロスが入り来るに及んで、始めて秩序が立ったのである。これの美に対する愛であることは明らかである。(十九) 美に対する愛からあらゆる善事が発生するに至る。(十九) …
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ヘーゲルの「美しき魂」とは

  美しき魂  表象から自己確信を経て自我に至る意識の運動は、意識と宗教的精神の二層において順次に、または同時に展開する。この分離した二層についての即自的な内容の統一、および対自的な形式の統一は、宗教的精神が達成するものではない。宗教的精神は表象に留まる即自的な直接意識であり、概念に達する対自的な自己意識ではないからである。自己意…
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ヘーゲルの「絶対知」とは

   19世紀ドイツ哲学者ゲオルグ・ヘーゲル(1770-1831年)の哲学理解の助けのために。 1 数学の絶対値とは。 数の絶対値はとは零(ゼロ)からの距離。正負の符号のない値。 2 ヘーゲルの絶対知とは。 ここで、行動的精神=神の命令を行う心(創12:1)     宗教   =他者依存      表象   =…
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ヨブ記にみる美しいことば

・ ヨブへのことばは読み手へのことばである。 38:1 主は嵐の中からヨブに答えられた。 2 知識もなしに言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。 語句説明「摂理」すべおさめること。自然界を支配している理法。別約で「経綸」あり、国家を治め整えること。 ここでは神の前に正しいことだけでは、説明できない理法が存在することが表明さ…
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