関西学院建築見学記

これらの建物は何を語り、何を伝えようとしているのか、

1 これを解く第一のカギはW.R.ランバスら米国メソジスト派の宣教師たちのよって創立されたことであろう。
18世紀の後半、イギリスでは産業革命によって、生まれ故郷を離れ、工業中心都市に移りすんだ人たちは、
教区制度の中にあって毎週通う教会がなくなり、やがて教会から遠のくようになった。
この状況に、国教会の司祭であったジョン・ウエスレーは、その必要に答えようとした、
初めは個人宅で開かれた。あくまで、国教会の礼拝に出席して聖餐にあずかるための準備の時と位置づけた。
やがて、集まりは大きくなり、野外で行われるようになった。そこにはだれもが集まることができた。
彼は几帳面屋というあだ名が付けられていたことから、後にこの名にちなんで「メソヂスト」と人々から呼ばれるようになった。
やがて、事実が語るように、創始者の意図とは離れて国教会から離れた分離教会へと発展してゆく。多くの信徒説教者が生まれた。
彼自身も英国内を精力的に巡回したが、大きな教派にはならなかった。

 1776年、アメリカ合衆国の独立が状況を一変させた。イギリス出身の司祭たちは本国へ帰国してしまい、残された信徒たちは、
聖餐を受けることが出来なくなっていった。それで、ウエスレーは米国に二人の信徒説教者を送った。しかしながら、
本当の必要者は西部開拓者たちであった。教会から離れてしまった彼らに応じられたのはメソジストの説教者たちであった。
メソジスト運動が開拓者と共に西部へ広がった。したがって、野外集会は彼らの原点となった。

 第二のカギは「神の国」運動であろう。ヘーゲル(1770-1831年)が提言したもので、いかなる存在からも隔絶している「父の王国」、
時間と空間において存在する「御子の王国」、神と人間の一致に続き、共同体に神が顕現する「聖霊の王国」、
このすべてが統合されたものが「神の国」である。道徳的生活と国家秩序において歴史的に結実するとした。
後の、多くの神学者が聖書の歴史的視点を取り戻すことができた。
 この建物の建築はウイリアム・M・ヴォーリズであり、日本での「神の国」運動の推進者である。建築理念は「建築は社会の器として残るものだから美しく機能的でなければいけない」とされた。気候風土にあった日本建築の良を取り入れること、人のつながりが出来る場所をつくること、住み手の健康と能率をたいせつにすることなどである。「建築が人を教育する。人の絆を深め、人の心を育てる建築が必要だ。人が建築に求めているものは優しさや絆である。」

2 実際の建物を拝見
 正面の大きな野原はメソジストの象徴を表している。残念ながら円周を生垣が囲み野原感がなくなっているのが惜しまれる。
周囲に背の高いヤシが多数飢えられている。これらは、絵画にもよく描かれているように、キリスト・イエスを表している。
この木は当時日本にはなく、おそらく輸入されたであろうものである。
 さらにその奥、学院の象徴、時計台は1929年ヴォーリズの設計によって建てられた。
神の国では、時間と空間は神のものであることから、
それぞれ、神の時間、神の空間となる。個々のデザインの意味であるが、時計が告げるのはイエス・キリストの再臨の時である。
時計の下、二階の窓は五人の御使いのようである。ヨハネ黙示録22章によれば七人であるので、まだ、その時に至らずでろうか。
東向きなのは、再臨は明けの明星とともにあるとされる。
 かぶと山を借景とし、設計者が日本文化のよき理解者であることがわかる。実際に建物の一階は低く建てられ、
全体のバランスに配慮されている。三つのアーチ入口は神の家を表し、復活の神であることを伝統的に表している。
 また、周りを取り囲む学び舎の上部の中心にあるデザインは四羽の鳩(ダブ)が四方に飛びだし、フィレンツェの洗礼堂の扉に見られる
デザインと同じである。(終)

引用図書 「キリスト教史下巻」フスト・ゴンザレス 新教出版社 2003年

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